「バッテリー」(あさの あつこ)の読書感想文 書き方の例文 2000字

 

読書感想文
「バッテリー」(あさの あつこ)
※1993文字※

 

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あさのあつこ「バッテリー」は、実写映画化されたり、アニメ化されたりしているから、ご存知の方も多いと思う。

私も、映画のCMで初めて「バッテリー」の存在を知った。

予告を見る限り、この作品は青春野球もので、アツいストーリーなのだろうなと思っていたのだが、原作を読んでみると少し違っていた。

青春と野球を描き、アツい展開も用意されているというのは間違いないのだが、そこにはアツさだけではない、濃厚な人間ドラマが待ち構えていたのだ。

それも、いじめを扱っていたり、主人公のピッチャー「原田巧」とバッテリーを組むキャラクターとの対立が色濃く描かれたりしていて、いい意味で児童文学の枠を越えていると感じた。

卓越した心理描写と、人間の心の機微を見つめる観察眼とが、この「バッテリー」という小説をただの青春野球ものから逸脱させているのだ。

主人公は中学生である。

しかし、あさのあつこは中学生の闇の部分、どろりとしたものから目を背けず、つまり青春の良い部分だけを描こうとはせず、その裏側にあるものをしっかりと文章にしていく。

劣等感とか、思い通りにいかない苛立ちとか、未熟さとか、その未熟さを持て余し友人なり家族なりにぶつけてしまう弱さとか、そういうものを余すことなくきっちりと描いている。

それでいて爽やかさというか、清新さを残しているのがあさのあつこの凄いところだと思う。

ただの「どろどろした話」では終わらないのである。爽やかさとどろどろ感が、見事に調和している。

特にわたしが印象に残ったのは、先輩からいじめられる「原田巧」を描いたシーンだ。

いじめの描写も克明だったし、いじめる側といじめられる側それぞれの心理描写も、丁寧になされていたように思う。

両方をひいきすることなく、しっかりと描写するのはあさのあつこの凄いところだ。

「なるほど、いじめる側の心理とはこういうものなのか」と納得させられた部分も多い。

そしてまた、誤解を恐れずに言えば「なるほど、だから原田巧はいじめられたのか」というところから、「こういう振る舞いをしているといじめられてしまうのか」と感じもした。

だからいじめは許される、と言いたいわけではない。

しかし、いじめの原因を分析する上で、この小説は役に立つのではないかと思った。

一言で言えば、「原田巧」は傲慢だった。

だから、先輩に目をつけられ、潰されたのである。

もちろん、実力のある「原田巧」に対する嫉妬、というのも大きい。

しかしもし、彼がもう少し謙虚だったら、こういうことは起こらなかったのではないだろうか。読んでいて、私は思わずそう思った。

そして私は、その後の展開に驚かされた。

「原田巧」は、そこで屈服することなく、部活を続けるのである。

いや、ここまではわりと普通の展開かもしれない。

しかしそこで彼は、自分を一切曲げず、つまり謙虚になろうとはまったく考えずに、これまで通り振る舞うのである。

確かに彼はいじめられたことで、間違いなく恐怖を感じたはずだ。

にもかかわらず彼は、自分の人間性に問題はないと判断したのである。

私は一読者として、彼は(いじめられる理由にはならないが)傲慢だとは思う。

そしてもし自分が彼の立場なら、少し謙虚になろう、先輩たちと上手くやろう、と思うはずである。

しかし彼はそうはしなかった。

他人と折り合うつもりは全くないのである(それが「バッテリー」を組むキャッチャーとの確執を生むことにもなるわけである)。

その「自分を曲げないという信念」は、果たしてよいものなのだろうか。

しかしこれは、良い悪いの問題ではないのかもしれない。

少なくとも「原田巧」は、そう思っているようだ。

傲慢で、協調性がないのも、それはあくまで自分なのである。

それを曲げてまで、他人と折り合う必要はない。

おそらく「原田巧」は、中学生にしてこのような考えを持っていたように思う。

それは確かに、ある面から見れば我が強いということだ。

気に入らない、と思う人もいるだろう。

しかし別の面からすれば、それは「我が道を行く」という、カリスマ性を感じさせるような、そういう特質なのではないだろうか。

それはある種天才に近い思考かもしれない。

もちろん私は、「原田巧」のこういう生き方を真似するつもりはない。

そもそもこれは、才能ある人間だからこそ許される生き方だ。

そして彼には、間違いなく才能がある。

そして、だからこそ苦しいのである。

才能を理解されない苦しみと、自分の才能を持て余す苦しみ。

そういう「天才」の苦悩と、キャッチャーや先輩といった、彼の周りを取り巻く「凡人」の苦悩とが、鮮やかに対比されている。

だからこれは「天才と凡才」を描き切った小説でもある。

私は、一方で天才の苦悩を理解し、一方で凡才の苦悩に共感することができた。

この小説は、そういう贅沢な読み方をできる、一粒で二度美味しい「天才的な」小説なのである。

 

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