「カラフル」(森絵都)の読書感想文 書き方の例文2030字

 

読書感想文
「カラフル」(森絵都)
※2030文字※

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死んだはずの「ぼく」にむかって天使が言った。

「おめでとうございます、抽選に当たりました!」
そうして、ぼくは輪廻のサイクルに戻るために、下界にいる誰かの身体を借りて(天使業界では「ホームステイ」というのだそうだ)前世で犯した悪事を思い出さなくてはならなくなった。

 冒頭から、ファンシーな世界観と妙なリアルが混在する文章に私は引き込まれていった。

天使という可愛いい象徴の隣に死という重い単語が並び、輪廻のサイクルという幻想から抽選やホームステイという一気にリアリティのある発言までを空想上の生き物である天使がする。

現実世界で起きている非現実的なことが、これから先起きていくのであろうとドキドキしながら読み進めたのを覚えている。

この本を手に取ったのは、作者でもタイトルでも、ましてや親や友達からの紹介でもない。

外見、第一印象、その真っ黄色な見た目だったからである。

何か面白そうな本は無いか、好きな作家さんの新刊は出ていないか、いつも立ち寄る本屋さんに、いつもは無かったそのド派手な表紙があった。一目ぼれだ。

私は一目ぼれで買った本は大抵当たりである為、すぐにそれをレジへと持って行った。

今思うと、表紙の時点でこの物語は始まっていたのかもしれない。

いつもの本屋さん、それは私にとっての日常で、代わり映えの無い光景である。

きっと主人公の真も、そんな代わり映えの無い日常に辟易していたのだろう。

そして少しずつ変にねじ曲がった日常が襲いかかり、一人で抱え込んで爆発させてしまったのであろう。

平凡な日常に慣れると、些細な違いが大きなストレスになる。

朝寝坊していつもと違う電車に乗るとか、お昼にお弁当を忘れてコンビニで調達するとか、どうでもいいことですら気になるのに、真に降りかかった些細な違いは中学生にとっては受け止めきれないものであっても無理はない。

だからこそ「ぼく」として見た真の日常は、代わり映えのしないモノクロな毎日ではなく、カラフルだったのだ。

中学生のコミュニティーは狭い。

家族、学校、後は習い事や塾があるか無いか程度。少し年齢を重ねれば、大したことのない事象でもその時は死活問題のものもある。

ただ、同じ中学生であっても、自分と他人であれば同じ問題を抱えていたとしても少し違って見える。

中学生の時に読んだ頃は気づけなかったが、そうやってストレスマネジメントをすることの重要性がこの本には詰まっていた。

中学生だった当時、私はいじめを受けていた。

理由は成績が良かったことに加え、性格がひん曲がっていた為だ。

どう考えても自分の言動が成績を鼻にかけていたものであった為、今思えばいじめられて然るべき態度であったが、当時はそんなことわかるはずなく(そもそも理解をしていればいいめられていない)たびたび学校へ行きたくないと思っていたし、嫌なことがあって憂鬱になるとすぐ死にたいと思っていた。

でもそんな時にこの本を読んで、世界が変わった。

自分の平凡な毎日が極彩色に見えた。

視点を変えてみる、客観的に見てみる、するといつもと変わらないはずの毎日が、思っていたよりも新鮮で楽しく感じられてきた。

自分の世界をモノクロにするかカラフルにするかは、自分次第なんだ。

この本を読むとそう感じることが出来た。

でも人間はそんなことすぐに忘れる。

ふと極彩色だと気付いた日常も慣れればまたモノクロに戻る。少しずつ戻っていくから、世界がカラフルであることを忘れてしまう。

また些細なことで壁にぶつかって、悩んで、落ち込んで、死にたくなる。その繰り返しだ。

そんな時私はこの派手は表紙を手に取るのだ、自分の世界を色まみれにする為に。

このド派手は黄色の表紙の様に、世界は輝いていて目が覚めるような驚きで溢れていることを思い出す為に。

人間はすぐ忘れるが、少しずつ経験を積むと強くなる。

同じ様な失敗をしてもへこたれなくなるし、悩んで憂鬱になってもすぐ死にたくならなくなる。

心のキャパシティが大きくなった事もあるが、きっとここで死ななくてもどうにかなるとわかってくるのだと思う。

幼いころは自分でどうにも出来ないモヤモヤを解消する術を知らず、すぐ死んで終わりにしようとしえしまう。

ただ、少しずつ楽しい遊びを覚え、知らなかった感情を抱き、そしてまだ生きていてもいいかな、と思えてくる。

私はこの積み重ねが大人になるという事だと思う。

大人になっても、私の世界はきっと目のくらむほどカラフルな世界だ。

この黄色い表紙を見るたびに、後ろ向きになった私の背中を「ぼく」が、真が、そしてあの可愛い天使が押してくれるのだから。

 

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