「三浦半島記」「街道をゆくシリーズ」(司馬遼太郎)の読書感想文の書き方の例文1287字

 

読書感想文
「三浦半島記」「街道をゆくシリーズ」(司馬遼太郎)
※1287文字※

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先ず、神奈川県厚木市に住む者ですが、相模の国の地元に住む者として「鎌倉」が世界遺産に漏れたのは残念なことでした。

此の三浦半島の鎌倉のことを書いた司馬遼太郎の随想記が、此の「三浦半島記」という本でした。

司馬遼太郎は日本の歴史家、歴史小説家、ノンフィクション作家、評論家としても広く知られています。

特に、歴史小説は多数残されていて、小生も大好きな作家であり、数多くの歴史小説や関連する書物を持っていて、好きな作家の一人です。

この「街道をゆく」シリーズは、司馬氏のライフワークともいえるノンフィクション集で、全部で43巻という長編にわたっています。

この内容は日本国内はもとよりアジアや世界各国の街道を実際に歩いたうえで書かれたもので、所謂、司馬遼太郎の歴史観を見る思いであり、エッセイ集なのです。

そして、この「三浦半島記」は、主に三浦半島における鎌倉の鎌倉時代と幕末の維新から昭和という二つの時代から、三浦半島という小さな半島が日本の歴史の中で果たした役割についての思いを綴っているのです。

特に、小生の好きな冒頭の文脈として、「房総半島と伊豆半島に挟まれた此の小ッポケな三浦半島から、12世紀の末紀に”鉄と槌と鋼”で叩き割ったような鎌倉幕府が出現する」という語りです。

勿論、此の時代に出現して武力でもって旧制度を叩き割り、而も、東方の片田舎に幕政を置いた人物こそ「源 頼朝」でありました。

其の小さな半島である三浦半島の西側に突如として登場する鎌倉幕府は、平安京遷都以来初めて、京都以外に出現した政府である。

関東武士たちの闊歩(かっぽ)した跡をたどりながら、著者は三代で途絶える源氏の政権や、滅ぼされた豪族三浦氏(三浦半島の名称の起源)など「生死はいかにもあざやかだった」と、関東武士たちを褒め称え、この政府にかけた思いについて筆をすすめていくのです。

更に時代は下って、戦国期の秀吉時代や開港当時のエピソードをはさんで、後半の時代は近代に飛ぶことになります。

この三浦半島は帝国海軍と横須賀という土地について語りながら、「海軍士官は、スマートであれ」という明治時代にイギリス海軍将校が残した教えを、消滅の瞬間まで守った海軍軍人達を紹介していきます。

その語り口からは、同じ旧軍出身ながら、陸軍にいた著者が海軍をうらやましく思っていることが伝わってくるのです。

其れは司馬氏の大河小説「坂の上の雲」のために旧海軍士官たちの行った「三笠」の艦上での取材の裏話などを語り、最後は再び鎌倉時代に戻り、足利・新田氏によって鎌倉が陥落したときのエピソードでもって本書は終わるのです。

此れは、多分本書にはない余談ですが、小生の住んでいるところは神奈川県厚木市ですが、かの有名な戦国時代の中国地方の覇者、三本の矢(安部総理にも関係があります)でも有名な毛利元就、即ち、毛利家の出身地が厚木市なのです。 

コレは頼朝に依ってもたらされた影響なのであり、彼の側近として行政全般を司ったとされる大江広元が相模の国の厚木の郷に所領を戴いたことから始まるのです。 

此の大江広元こそ、毛利家の元祖となる人物なのです。

 

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