「豊臣秀長(ある補佐役の生涯)」(堺屋太一)の読書感想文 書き方の例文1225字

 

読書感想文
「豊臣秀長(ある補佐役の生涯)」(堺屋太一)
※1225文字※

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堺屋太一氏著書・「豊臣秀長」(ある補佐役の生涯)元より、私は歴史に興味をもち、日本の歴史が好きで、国内の京都や奈良の神社仏閣や史跡に関する様々な処へは良く出かけますし、歴史の雑誌、そして歴史小説が大好きで司馬遼太郎や藤沢周平、童門冬二氏など若い頃より愛読してました。

勿論、テレビは歴史物を良く観てるし、NHKの水曜日の「歴史ヒストリア」や「BS歴史館」(現在は「英雄たちの選択」)等も毎週欠かさず見ております。

特に好きなのがやはりと言うか戦国時代の物語で、信長、秀吉、家康といった三大偉人については興味津々であり、個人的にも大好きな人間たちです。

この三大傑人は戦国時代の物語においては同時に登場してくる所も面白く、しかもその性格の違いが一層、物語を引き締めているのです。

世に言うその性格の違いは「ホトトギスの喩え」にもありますが、織田信長は現実主義、聡明、即断即決で、尚且つ、非常に律儀で世間での自の評判を気にするタイプ。

又、豊臣秀吉は強い上昇志向や誉め上手で人たらしといわれ、又、女好きで傾気者で、信長と同じく世評を気にするタイプ。

そして、徳川家康は元来の性格は非常に短気といわれ、学習能力が高く勉強好きであり、趣味が多く、凝り性で何と言っても倹約家であるのが特長でしょう。

特に戦においては豊臣秀吉の場合は、人たらしを地で行くタイプで調略で相手を崩していく、それにいざとなったら信長以上に行軍が速く、城攻めの経験が豊富で得意としている点であろう。 

しかし、秀吉の戦闘能力、統治能力は実のところ弟の秀長に追う所が、非常に大きく多いとも云われているのです。

堺屋太一の著書、「豊臣秀長」(ある補佐役の生涯)では、秀吉の義理の弟である秀長のことですが、史上類例を見ない諸国制覇の膨張を続ける組織の中で、常に秀吉の横にいて経歴や実績からも万人が認めるナンバー2の補佐役でありながら、自らの働きを誇ることなく、常に脇役に徹した稀に見る有能な側近であったのです。

そして、激動の戦国時代にあって天下人にのし上がる秀吉を徹底的に支えた男であり、その地味なるが故の華々しい生涯を描いた歴史小説であったのです。

特に、長宗我部の四国攻めのときには、秀吉が偶々病で出陣できず、秀長が総大将として出陣し、又、次の九州攻めの時は、秀吉が肥後(熊本県)から薩摩(鹿児島県)に攻めこんだのに対し、秀長は日向(宮崎県)側から薩摩に攻めこんでいったのであり、正に、兄弟で勝ち取った戦であったのです。

しかしながら義弟の秀長が病没すると、途端に秀吉の箍(たが)が外れたように暴走が始まるのです。

無謀な朝鮮への出兵、師と仰いだ千利休の切腹、甥の秀次とその一族を粛清した秀次事件など、明らかに秀吉の暴走が始まり、そして、よれよれになって息子秀頼(淀君の息子)の泣き言いながら死んでゆくのです。

其れは、豊富秀長亡き後の秀吉の後半生を見るに付け、弟・秀長の存在が如何に大きかったかが窺われるのです。

 

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