「赤ヘル1975」読書感想文の書き方の例文1200字

※1235文字

「赤ヘル1975」(重松清)を読んでの感想

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重松清の「赤ヘル1975」は、プロ野球広島カープの初優勝にまつわる、
少年たちの友情と被爆をテーマとした小説です。
重松清さんの広島カープへの愛着が行間からにじみ出ており、
プロ野球ファンならずともほのぼのとした気持ちになれるのでは
ないでしょうか。
広島カープは、近年では女性カープファン、いわゆる「カープ女子」
の増加でも話題となっています。
しかしながら、チームは長らく低迷しており、1991年を最後に
優勝からも遠ざかっています。
「赤ヘル1975」で描かれている当時も、初優勝までの道のりは茨の道でした。
原子力爆弾投下で灰燼と帰した広島復興の象徴として誕生したカープも、
有力選手が集まらず、球団創設から20年以上、優勝を達成することは
できませんでした。
タイトルともなっている1975年は、カープの一大転機となった年
だったのです。
今でこそ、赤色が定着したカープですが、それまでのチームカラーは
紺色だったのです。
このチームカラーの変更は、球団初の外国人監督として招聘された
ルーツ監督の発案によるものでした。
赤は闘争心の象徴です。
それで熱くなったわけではないのでしょうけど、ルーツ監督は審判の判定への
猛抗議とその後の球団の対応に不信感を抱き、期待されながら、
わずか数試合で辞任してしまいます。

1975年は、被爆から30年という節目の年でもありました。
主人公の中学生マナブは、東京からの転校生。マナブも同級生たちも、
被爆を経験したわけではありません。
それでも周囲には、被爆の後遺症や家族を失った人たちがおり、
客観的な視線で被爆の痛みを知ることになります。
本書はタイトルこそ、赤ヘルとなっているのですが、原爆にまつわる物語
でもあるのです。

マナブの暮らす復興住宅も、都市再開発とともに姿を消します。
被爆者であるお年寄りや、クラスメートの少女も、復興住宅を去っていきます。
被爆から30年がたち、広島の町も大きな変貌を遂げようとしていたのです。
ここには時間の残酷さを感じざるを得ません。
なかでも印象に残るのは、マナブの同級生の少女。
少女の母親は広島で被爆したのではなく、広島県内の福山で空襲に遭っています。
しかしながら福山空襲の被災者には、被爆者のような救済措置はないのです。
広島の被爆、被爆からの復興の象徴として生まれたカープを、
少女は冷静に見つめます。
このように置き去りにされる人の痛みも、本書を読み進んでいくうちに
心に刻まれます。

広島の町に触れた東京人のマナブは、それまで巨人を応援していたのに、
赤い野球帽をかぶるほどのカープファンになります。
ところが仲間との別れがやってきます。マナブは父親の仕事の関係で、
転校生として方々を渡り歩いていました。
父親は事業に失敗し、夜逃げのように、初優勝の熱気に包まれる広島を
後にします。
このシーンは涙なしには読めません。
「赤ヘル1975」はカープファンではなくとも、戦争と、
残された人々の悲しみを味わえる良書だと思います。