「ここで生きる 小料理のどか屋人情帖15」読書感想文の書き方の例文2000字

※2100文字

「ここで生きる 小料理のどか屋人情帖15」(倉阪鬼一郎)を読んでの感想

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時代劇でよく料理を出す作家と言えば剣客商売の池波正太郎……らしいのですが、
実は読んだことありません。
ほら、あまりにも有名所すぎるとかえって手を出しにくいというか……。

ただ「時代劇に登場する料理」といいますか「今ここではないどこかで食べられたもの」
を扱った作品は好きです。
人間食わねば死んでしまいますからね。
かつて食べられていた料理文化、異国の料理文化を知ることはそういった人々の営みを
垣間見れて、人間味が感じられる、と自分的にこの嗜好を解釈しています。
最近ではこの傾向が結構流行の兆しがあるようで、ダンジョン飯とかもアニメ化されましたね。

前置きが長くなってしまいましたが最近続刊が次々出ている、時代劇で料理を扱ったシリーズは
「小料理のどか屋」シリーズです。
最近知って、2ヶ月くらいかけて既刊を集めて読みきったわけなのですが、ちょうど(現状)
最新刊がかなり私好みというか、このシリーズの中でも結構異色なテーマを扱っており、
さらに本シリーズを気に入ってしまいました。

このシリーズは、元武士で現料理人の時吉が、江戸で小料理屋「のどか屋」を営み、
様々な人々と触れ合っていくいわゆる人情ものです。
なぜ時吉が武士から料理人になったのか、という過程は1巻の肝なので置いておくとしまして、
当初は小さな料理屋であったのどか屋が幾度も危難を迎えたり火事に焼け出されたりと、
時には苦難に遭いながらも最新刊の時点では旅籠屋付き小料理屋にまで発展し、
最初は手伝いであった女将を女房に迎え生まれた長男は包丁手伝いができるくらいにまでなり……
と、かなり遠い所までやってきました。

こののどか屋は「地味だけど食べた人の心がほっこりするような料理」を目指し
「決して客の上から皿を出すのではなく、下から出す」ことを志としている店とされており、
様々なシチュエーションで様々な料理が出てきます。
死に行く常連客の故郷の味を再現しようとした蛤汁や、もうお迎えが来るんだと悟って
元気がない老いた父親に滋養を与えるため考案した蒸し野菜、上様には徹底的な制限の
中茶碗蒸しを出し、焼け出された人々に炊き出しとして芋粥や人参汁(人参は入っていない!)
を振る舞う……。
こんな特別なシチュエーションもあれば、常連客が酒をかっくらいながら鮎もどきや利休玉子、
船場汁やら鮟鱇鍋をつつき、寿司におむすび果ては焼き飯、芋カステラまで出てくるカオスっぷり。
実は私自身結構料理をする方なので、レシピの参考にしたりもしています。
さつま揚げ入った炊き込みご飯うめぇ!

で、最新刊「ここで生きる」は主人公、時吉の師匠にして女房の父親(つまり義理の父でもある)
である長吉と、彼の所に弟子入りした○○が物語の中心となっています。
長吉は1巻からずっと登場し続けている、気が短くて涙脆くて情が深い、典型的江戸っ子の親父さん
なのですが、いかんせん五十にもなって江戸時代的にはそろそろなお年頃。
一方で弟子入りしてきた○○は詳細は書かれていませんが十中八九10代であり(当時の)現代っ子です。
この○○が決して腕も筋も悪くないのに、魚を捌くのが怖い、かわいそうだというので
一悶着があり……というのが15巻のお話。

長吉は主人公の時吉にとっては恩人にして師匠にして義理の父親と、もう頭が上がらない人物であり、
実際弟子も客も一人一人よく見てはそれに応じた対応をして、また問題のある弟子の行く末も案じる
などの心配りもできる人物なのですが、いかんせんとにかく短気。
それがこの巻では悪い方向に出て「迷惑な年長者」「理解しかねる若者」
「その煽りを喰らって死ぬほど苦労する働き盛り」という、
現代でもよくある問題に発展し、今までの人情もので終わらないお話になっています。

結論を言えば、まぁこの手のお話ではよくあるややご都合主義的にお話は終わるのですが、
それでも世代差の考え方の違いが、ほんのちょっとした一言でとんでもない方向に転がってしまう、
ということや、その結果心に傷を負う人々など人間の負の側面を、きちんと描いてくれ始めたのが
じんわりときました。
料理の味に甘い辛いがあるように、お汁粉に塩を入れると甘さが際立ち味がきりっと締まるように、
人も長所もあれば短所もあるからこそ人間たりうる、と思うのですね。

主人公の時吉はその点、長吉よりずっと若いのですが罪無き人を殺めてしまった自責の念を
強く強く抱いているところがあり、ある意味師匠以上に師匠の教えを忠実に守っているとも言えます。
ただ、それは抱えるものが妻子と飼っている猫たちくらいだという余裕から生じているところも
あるわけで、多数の赤の他人である弟子をいっぺんに抱えたことはない以上、師匠のようなストレス
を喰らったのは今回が初めてという。
年代が変われば立場も変わり、やがてはかつて自分の立場で辛かったことも忘れてしまう……。
そういう悲しさをどこかで覚えつつも、結局はこの15巻のタイトルである「ここで生きる」
ということを人はやっていくしかないのだな、と。

そういうとなんだか悲しさを覚えてしまいかねない結論ですが、ある程度の開き直りができて、
15巻はとくにお気に入りの一冊です。