「オーパ!」読書感想文の書き方の例文2000字

※2134文字

オーパ!(開高健)を読んでの感想

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私の好きな本の一冊は、開高健氏の著作「オーパ!」だ。
作者の開高健(1930~1989)は第38回芥川賞受賞の小説家
(受賞作品は「裸の王様」)であると同時にジャーナリスト、釣り人、
美食家と実にさまざまな側面で活躍した人物。

彼にとって釣りは、生涯を費やした一大道楽であり、今でも多くの釣り人
によく知られています。
ジャーナリストで釣り人であった彼は、何度も世界各地を旅し、大物たちを狙った。
本作は釣りを通して世界を知り、感動に出会える作品であり釣り好きな人のみならず
旅行記が好きな人にとってもすばらしい作品で、本作を第一弾として
「オーパ」シリーズは4冊ある。

第一作のテーマは「アマゾン」。60日かけて各地を釣行し、有名なピラニアや
世界最大の淡水魚ピラルク、氏のあこがれの魚だった黄金の魚「ドラード」など
さまざまな魚種に挑戦していく。
「オーパ」は驚き、という意味。まずはじめに接することになった
「どこにでもたくさんいる」ピラニアたちについて、ジャーナリストとしての適格で、
ビビットな言葉でこのように書いている。
「この魚のすっしりと分厚い下顎の協力さと三角歯の鋭さには数世紀に及ぶ定評と
神話があるが、マスタッド鋼の炭素鋼の針がグイと捻じ曲げられたり、ルアーの
3本針をスパッと噛み切ったやつがいたのには声を飲まされた。万力や金属切断機の
やる仕事をたかだか20センチ足らずの川魚が苦もなくやってのけるのである」
・・・・とても有名なピラニアだが、やはりものすごい生き物である。
とはいえ血を流していなければまず人間は襲わない、というか現地人の主食のひとつが
ピラニアだそうだ。
開高も滞在中しょっちゅう食べているが味は美味とのこと。
このような調子で、いろいろなモンスターフィッシュというが、怪魚たちについて
記していくのであるが、本作の中では開高の豊富な知識があちこちに見て取れる。
アマゾン探検の草分け的存在の冒険家トム・スターリングの記述の引用や、
70歳を超えて初めてブラジルに行き、炎天下のアラグアイア川に繰り出して
竿とリールでピラルクを狙ったエピソードが紹介されていて、ふところの深さをすごいと思う。
氏のあこがれの魚ドラードが、本作のハイライトでもある。
黄金郷「エルドラド」が名前の由来というドラドは体系なサケににているが、
文字通り「黄金」に輝くからだで大きく裂けた口には歯がずらりと並ぶ、
大きいもので全長80センチほどにもなる巨大魚。肉食で大変凶暴でパワフルだそうだ。
かつてヨーロッパの探検者や博物学者はそれぞれの目標をめざし世界各地を訪れたが、
多くの人を今も昔もひきつける「金」はそういった人たちにとっても「夢」であった。
まさに夢やロマンを体現したような姿。

開高は竿とリールでドラドと格闘する。まさにけた違いの強さの魚で、そうそうばてない。
ようやく釣り上げた開高はドラドを両手で持ち上げ「ビーバ!」と叫ぶ。
この場面は写真もついていて、とてもうれしそうな表情だ。
本書には実にイキイキとした写真がたくさんついている。
開高の旅行にはプロカメラマンも同行していた。
釣り上げられたばかりの魚たちや巨大魚たちと格闘中の開高、現地の人たちの暮らしや町、
市場の様子などが読者にもビビットに伝わってくる。
特に市場にならぶ食材たちの様子は私もお気に入りだ。
グルメな開高は泥だらけのカニやエビが大量にはいったかごを除いて同行者たち
[日本人]にこういう。
「この泥を見て、つばがわかないようではだめだ」。
実際とてもおいしいらしい。見た目はともかく。そして実に幸せそうに食べる。
釣行しながら、各地で人々や文明と接する。
そのなかで現地の人たちから感じるたくましさや、残念な環境破壊の実態、
都市の様子などもしっかりと紹介する。
開高は環境破壊反対などと叫ぶタイプでも、文明社会が一番と思っているタイプでもない。
ただ、純粋に現地を学び、人と接する。感動するときは感動する。喜びは隠さない。
ある意味子供のような側面がある。

しかし、根底にはある種のうれいがあるように思える。人間や社会、文明の本質について
である。
そのあたりは優秀な学歴があり、さまざまな世界を見てきた彼ならではの感性であろう。
まだ若い私にはまだまだ実感としてつかみにくい側面である。
そういったところも、この作家の奥深さのひとつなのだろう。
日本にいては経験できない感動がアマゾンにはある。
そして日本がいいと思える側面もある。
そして・・・よくも悪くも変わらないところもある。開高はそんな変わらないところに
「うれい」を見ている気がする。
本作を読んで私はどうだろう、と考える。
特に心配ごともない代わりに、大きな変化もない。
だいたい将来の道筋も見えているし、そんなに悪いとも、大きく変わりたいとも
(人が大きく変わることなど本質的にできないはずだが、少なくともまわりから
そう思われるだけのことであろう)思わないが、時々それでいいのかと思える。
結局は損得勘定というか、比較均量で人は判断するのだ。多くの人がそうだろう。
しかし冒険したい心、世界を見たいと思う心はふつうの人にこそ必要なのではないか。
私も、できるできないは別としてやりたいことをたくさん持っていたい。