「江戸しぐさの正体」読書感想文の書き方の例文2000字

※2005文字

「江戸しぐさの正体」(原田実)を読んでの感想

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マナーキャンペーンの題材として紹介された「江戸しぐさ」を
覚えている方も多いのではないでしょうか。
数年前に、マナー啓発の広告やテレビCMなどで大々的にPRされ、
大きな話題となりました。
そして、現代人も先人のマナーである「江戸しぐさ」に学ぶべきだ
という機運が高まったのです。

じつは、この江戸しぐさが後世のフィクションであったことを
明きらかにしたのが、本書「江戸しぐさの正体」です。
著者の原田実さんは会社経営のかたわら、歴史研究を続けています。
この江戸しぐさに疑問を抱いて、個人で徹底的に調査したといいます。
その結果が、この「江戸しぐさの正体」なのです。
「江戸しぐさ」の広告キャンペーンは、要約すると、次のようなものでした。
「江戸っ子の心意気の部分を表情豊かに表現した」ものとして、
古きよき伝統を現代によみがえらせる活動として、世間に受け入れられた
のです。
しかしながら、本書「江戸しぐさの正体」によれば、江戸しぐさなど
というものが、存在しなかったという驚きの事実が明らかになります。
たとえば、江戸しぐさと呼ばれるマナーの代表的なものとして知られるのが、
「傘かしげ」ではないでしょうか。
雨降りの日でも、狭い路地ですれ違う相手に、雨水がかからないように、
互いに傘を外側に傾けようというマナーです。
しかしながら、著者の原田さんは、はたして江戸時代の一般庶民が
和傘を使っていたかどうか疑問に思ったといいます。

なぜなら、当時の庶民にとって和傘は高級品であったからです。
雨の日は、頭に笠や蓑をかぶるのが一般的でした。
また、和傘を使う階級であっても、浮世絵には和傘を傾けるのではなく、
すぼめるような姿が描かれています。
このことから、「傘かしげ」は傘が普及した現代の習慣であると
結論付けるのです。
そのほかにも、疑問の浮かぶ江戸しぐさは、枚挙に暇がありません。
たとえば、「時泥棒」というもの。突然の訪問や遅刻は、相手の時間を
奪うため、泥棒と同じである、というものです。
しかし、これもよくよく考えてみれば、疑問だらけだというのです。
なぜなら、江戸時代の庶民は時計など使っていなかったからです。
市民が時刻を知ることができたのは、寺の鐘や夜中の柏木くらい。
現代と違って電話やメールもないのだから、訪問が突然になるのは
当たり前だというのです。
このほかにも、電車やバスに乗車する際のマナーとして紹介された
「こぶし腰浮かせ」も、やはりおかしいところがあるといいます。
これは乗り物の座席でこぶし一個分腰を上げて詰め、後から乗車する
人に空間を作るマナーの一例です。
ところが、江戸時代にこのような乗り物はありません。
貨物や馬も乗るため座席はなかったのです。
当時は座席ではなく、座敷が使われていたことに思いをはせれば、
この習慣のおかしい点が明らかになってきます。
つまり椅子になれた現代人の習慣であるのです。
考えてみれば疑問だらけが浮かぶ「江戸しぐさ」ですが、いったい誰が、
どのような目的で考案したものなのか。
原田さんは、著作でこうした謎にも迫ります。
じつはこの江戸しぐさというのは、現代人が生み出した「マナー集」
だったというのです。
その人物というのは、1999年に亡くなった男性でした。
この男性の弟子に当たる女性が、聞き取りしたものをマナー集としてまとめ、
大手マスコミが取り上げるようになったのだとか。それがマナー広告でも
取り上げられ、いつのまにか世間に浸透してしまったそうです。
この男性の弟子たちは、驚いたことに、江戸しぐさだけにとどまらず様々な
「創作」をしていたことも明らかになります。
いわく、明治維新後の新政府が、隠れ江戸っ子狩りをしただとか、関東大震災を
江戸っ子だけが第六感で予知して難を逃れた、など。
このような荒唐無稽な話が、マナー教育の一環として、世間に広まり、教育現場
でも喧伝されてきたというのです。

教科書に採用された江戸しぐさも、じょじょに姿を消しつつあるそうです。
しかしながら文部科学省の道徳の教科書には、いまも江戸しぐさの記述が
残っています。
江戸しぐさが歴史的事実だとは思っていないと、しているものの、事実に
基づかないことを教科書に掲載するのはいささか問題があるといえるのでは
ないでしょうか。

事実がゆがめられ、いつの間にか先人のマナーの一例として、定着して
しまった「江戸しぐさ」。
たしかにマナーを啓発することには意義があるかもしれません。
ただ、根拠がないことをさも事実のように広めることは、やはり
問題があるといえるのではないでしょうか。
ましてや教育の現場で語られるのは、歴史をゆがめることにも
つながります。
本書のような指摘がなければ、なんとなくいいことのように思えてしまい、
疑問を持つこともなかったかもしれません。
江戸しぐさがフィクションであったという事実は、世間に広まる常識に、
疑問を持つことの大切さを教えてくれるのではないでしょうか。