「銀河鉄道の夜」読書感想文の書き方の例文2000字

※2000文字

「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)を読んでの感想

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「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、
どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあの
さそりのようにほんたうにみんなの幸のためならば
僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
詩人でもあった宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には
印象的なフレーズは色々と載っているけれども、
恐らくは『銀河鉄道の夜』の中において最も印象に
残るセリフではないだろうか。
カムパネルラとの二人きりの感触、僕たちの孤独感、
どこまでも行きたいという、幼き日の憧憬、
青春への追憶、そうして、自己犠牲のためには自らの身が
苦痛を伴って滅ぼされても構わないという意志。
この作品のエッセンスが濃縮されたようなセリフだ。
ジョバンニ少年の言葉には憂いと共に、かすかなロマンが
ユーモアのように漂っている。

この話はよく知られた物語だ。昔、小学校の頃に読んだことがあり、
あの時に読めたのだから、今も読むことができるだろうと思い、
手に取った。
物語そのものは何も変わらなかった。
ただ読み取る私の視点が異なっていた。
あの時の私はジョバンニやカムパネルラよりも、少し幼かったよう
に思う。
多分、少年向けに書かれているはずだから、宮沢賢治にとって
読んで欲しい年齢に当てはまるはずだ。
果たして、そうなのだろうか、という疑問が頭に浮かんだ。
病気の母のために植字工として働くジョバンニ、それから彼のことを
気にかけるカムパネルラ、子供たちの残酷さを伴った笑い、これは
大人が読む小説ではないのか、と。

ジョバンニは多分、弱い立場の少年だ。そのような彼は、物語の中
において、誰かを気遣ったり、気毒がったりして、その人間の
ためならば自己犠牲をも厭わない心情になっている。
登場してくるさそりもまた、井戸の深くに落ちて、もう助からないと
知っても、誰かに食べられてしまってもかまわない、それが誰かの
命になるのならば、と考えるようになる。
これは心の優しさがまれなものであり、弱い立場の人間が行うもの
であることを言っている気がする。

あるとき、町で歩いていると、誰かがよろけながら歩いているのが
目に入った。障害者らしかった。彼は倒れてしまった。
それから、起き上がれないでいた。
自力では立ち上がれないらしいのだ。
誰もが彼を見て見ぬふりをした。何かをぶつぶつと呟いていた彼は、
避けられていたのだ。
私は、彼に手を差し伸べた。
彼は腕を掴み、ようやく起き上がり、私に礼を言った。
それから、歩きだしていった。そのとき、私は周りの人間を見た。
誰もが、私を見ていた。あの、障害者を見つめる目と同様の目をして、
私を見ていたのだ。距離を感じた。

少しだけ、寂しくなった自分がいた。
弱い立場の人間に手を貸すと、自分も弱い立場に立たされてしまう。
優しさというのは、常に自己犠牲を伴うものらしいのだ。雑踏の中で、
視線に圧倒され、立ち尽くしながら彼を見送る私がいた。
有り体に言って、孤独だった。

銀河鉄道に乗り、さまざな人間に触れ合った後に、ジョバンニは
あのさそりのようにみんなのためならば我が身を犠牲にしても
かまわないと言う。
誰か個人のために、というよりも、みんなのためを思って言って
いるのだけれども、個人を助けるときと心境は差して変わらない
気がする。困っているのはいつも誰か個人だからだ。

正直な話、あのときの体験は私に誰かを助けるには勇気が必要なのだ
ということを教えてくれたように思う。
それから、少しだけ臆病になった気がする。
しかし、ジョバンニは熱を込めて、しかし静かに自分の意志について
話している。
決して、勇猛果敢に悪に挑む騎士のようにではなく、一人の少年として
星について思いを馳せるように語るのだ。

ジョバンニ少年に勇気づけられた。優しさは同情とは違う。
同情という言葉は、困っている誰かとその気持ちを共有することだと
言っている気がする。
しかし、溺れた人間に必要なのは、一緒に溺れて気持ちを共有すること
ではない。
安全な陸地から、縄を投げてやることだ。
ただ、それはそちら側に引きずり込まれないように、
勇気を持って行う必要があるのだ。
小さなジョバンニはあのときに気づかなかった、けれども心には
伝わっていた、大切なことを改めて教えてくれた気がする。

私は誰かに手を差し伸べてしまうことができる。
それでも、物語のラストにおいて、カムパネルラは川に落ちた友達を
助けようとして、その友達を助けたけれども、自分は流されてしまった。
縄を投げるのではなく、自分が川に飛び込んだのだ。
しかし、彼が死んでしまったかどうかは、物語の最後には描かれていない。
ただ、多分助からないだろう、というようなことしか書かれていない。
子供である彼は捜索に加われず、さまざまな感情を胸に溢れさせながらも
家に帰ってしまう。
彼はカムパネルラの生を信じていただろうか。
多分、そうだろう。私もそうだ。小さなカムパネルラは私たちの中に
生きているのだから。