「砂の女」読書感想文の書き方の例文2000字

※2,036文字

「砂の女」(阿部公房)読書感想文

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ふいに、舌の裏側から、ねばりけのある唾液が、ふきだしてくる。
しかしその唾を飲込むわけにはいかない。
唇と歯のあいだにたまった砂が、その唾を吸って、口いっぱいに
ひろがるのだ。
土間にむかって、唾をはいた。
しかし、いくら唾をはいても、口のざらつきはなおらなかった。
口が、からからになっても、まだ砂は残っていた。
まるで歯のあいだから、次々と新しい砂がつくられていくようだった。

私はページをめくりながら、唾を飲込んでみた。
まるで自分の口の中に砂が無いかどうか確かめるように。
生暖かい湿気を含んだ砂地獄の描写はそれぐらいとても生々しく、
耳の後ろに湿った砂がまとわりついたような、そんなむずがゆささえ
感じられるのだった。
阿部公房は砂を食べたことがあるに違いない。
そう確信した程であった。

「川本喜八郎」は、私の愛するアニメーション作家である。
彼が命を吹き込んだ人形やアニメーションはとても表情豊かであり、
そして最後にはなんともいえない余韻を残してくれる。
その作品の中で特に好きだったのが「詩人の生涯」という
阿部公房の小説を元にしたアニメーションだった。
その内容に衝撃を受けた私は、阿部公房の小説をかたっぱしから
読みあさり始めた。
そして阿部公房に触れることが出来た記念すべき第1作目が、
この「砂の女」であった。
冒頭はいきなり、ひとりの男が行方不明となった、
と書き出されている。
その説明はいっさいなされないまま物語は始まる。
昆虫採集が趣味である男が、虫の新種を求めてさまよう。
さまよううちに、砂漠へとまぎれこみ、そこでひとりの女と
出会うことになる。
その女のしゃべりかたが妙に独特なのだ。
「砂がねえ……」「いいえ、砂ですよ……」といったように、
けだるげな印象を与える話し方なのである。
ゆっくりと獲物を絡め取るようなじめじめとした空気が
まとわりついてくる。
まるでじっとりと汗をかいたような、そんな不快な気分に
までなるのだった。

そして私の心をつかんだのは、ある朝の場面だった。
男が口の中を砂でいっぱいにしながら起きると、そこに女が
裸体で仰向けになって寝ており、その女をきめ細かい砂が
一面に覆っていたのだ。その女の輪郭をくっきりと覆った砂の
描写は何故かとても官能的であり、芸術的でもあった。
まるで生きた砂の彫刻をみてしまったような、何か不思議な
感覚にとらわれたのだった。

男は結局砂の家にずるずると閉じ込められたまま滞在する
ことになるが、とうとう逃亡をやってのける。
舞台は砂と家、そこから場面転換すると同時に、空の濃紺、
海、稜線と美しく描かれ始める。しかし皮肉にもそれは
今まで男を苦しめていた砂が作り出した美しさでもあり、
その稜線を背に、男は女のことを思い出さずにはいられない。
すでにこの時、男は砂が創り出した甘い地獄の魅力に
とりつかれていたのかもしれない。

逃亡の末に待っていたのは底なしの砂地獄であり、
その砂地獄にはまった男は命の危機に瀕することになる。
そこで、恥も尊厳もかなぐり捨てて彼は叫ぶ場面は圧巻だ。
「助けてくれえ!」そう男は叫んだ。
この瞬間まで彼はなんとか今まで生きてきた元の世界へ
戻りたいと切望していたのであり、理不尽な砂社会に
反発を持ち続けることによって自尊心を保ち続けてきたのである。
それらをすべて捨て去った瞬間でもあった。

阿部公房による砂への執拗な描写は最後まで衰えることがない。
そしてその砂の描写はいつしか、男の奇妙な心理描写へと変化をとげていく。
それは内に秘めすぎて今にも爆発しそうな鬱々とした感情であり、
心の箍がどこかで外れたことによって生まれた狂気でもある。
男の狂気も、砂の表現と同じようにじっとりと描かれていく。

しかし、男はどこかでこの砂の世界で生きていくことを
望んでいたのかもしれないと思う時がある。
ただ砂を掘り、家を守り、女と自堕落に生きていく。
前進も後退もしない生き方は、どこか楽なのかもしれない。
私たちは常に進化を求められ、前進していかなければならない。
新たな環境に飛び込むごとに与えられる期待に答え、
さらには期待以上の結果を出していかなければならない。
しかし、砂で覆われた集落ではただただ砂を掘り家を保ち、
水をくみ、女と過ごす。
それ以上のことは一切求められない。
それは退屈であり、単調であり、そして魅惑的でもあるのだと私は思う。
何も生み出さない、ということは実はとても楽な生き方でもあるのだと。

たとえば私がこの男の立場であったとしても、抵抗しても
逃れられない状況下で、労働を強いられ、疲労の中何も考えられずに
一日を終える、しかもそこから抜け出すころが困難なのであれば
甘んじてその環境を受け入れていたかもしれない。
いや、きっとそうしていただろう。
虐げれることに慣れ自尊心を持つことを諦めることで奴隷にもなれる。
そしてその反対もしかり、自尊心を持つことを許さず労働を強制し
虐げることで奴隷が生まれるのである。
「砂の女」はそんな人間の在り方を追求した作品なのだと私は思う。