「播磨灘物語」読書感想文の書き方の例文1200字

※1292文字

「播磨灘物語」(司馬遼太郎)を読んでの感想

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確か、一昨年の2014年1月からNHK大河ドラマで岡田准一主演
による「軍師・官兵衛」(ぐんしかんべえ)が放送されていま
したが、 此の「播磨灘物語」は軍師・黒田官兵衛の物語なの
です。
元より私は、司馬遼太郎の歴史書、歴史観が好きで、彼の歴史
小説、歴史書や歴史紀行書、評論文を好んで読んでおります。
その中の多数ある蔵書の隅に、「播磨灘物語」があったので、
改めて読み直してみたのです。
勿論、その理由はNHKの大河の、「軍師・官兵衛」がきっかけ
で再度読み直したものです。

本題に有る播磨灘というのは、瀬戸内海東部の海域であり、
兵庫県南西部の南側に位置し、東は淡路島、西は小豆島、
南は四国で区切られて西北部に家島諸島がある海域をさしています。
この播磨灘の面している播州・姫路の地に黒田官兵衛は生を受けて
います。 
しかし、黒田家は元より備前福岡の出身である。 黒田家は
この福岡の地を常に懐かしんだ。
勿論、出生地名を取って、九州の領地を福岡と命名したものです。

室町期の末期は戦国時代とも言われ乱世、天下の名城と言われる
姫路城は未だ小さな館で播磨の豪族の支城であった頃のことである。
この城で黒田孝高は生まれ、合理性を兼ね備えた立派な戦国武将になった。
司馬遼太郎氏著書の「播磨灘物語」は、戦国時代を後に豊臣秀吉の参謀
となり才知で駆け抜けた智将の物語である。

信長の突然の死で秀吉の周辺が慌ただしい中において、中国の覇者と
される毛利勢との講和っを結び、所謂、中国大返しとして知られる行動
そのものは秀吉の決断とされるが、実は官兵衛自身による知恵だとされて
いるのです。
しかし結果として秀吉によって官兵衛は無類に酬われることはなかったのです。 

其れは、官兵衛の余りの智謀、才知を恐れた秀吉が彼を自然と遠ざけざるを
得なかったとされているのです。
官兵衛は晩年になると、与えられた筑前・福岡城の一角にひっそりと
住んでいたが、其のときに実子の長政に何気ないく言った言葉が、
「この風景は古郷の播磨に似ている」といい、遠い望郷の地・播磨を
忍んだという。 
官兵衛は59歳で「黒田如水」として死んだ。

福岡の黒田節や黒田武士といえば、やはり主人公の黒田官兵衛孝高であり、
息子であり嫡男の・黒田長政なのです。
官兵衛孝高は、晩年になって福岡城の建設中に同地域である太宰府に身を
移していて、既にこの時、倅の長政に家督を譲っているのです。
この時、自分自身を「水」に喩えて、”如水”と号した言われています。
彼は、人生での水五訓を認め(したため)、その中の一つに、「自ら活動して、
他を動かしえるのは水なり」言っています。 
如何にも軍師・官兵衛官らしい生きざまであったと言えるでしょう。
「関ヶ原の戦」の後は、徳川家康より長政の働きがアッパレ顕著であるとして、
筑前、福岡で52万石の太守となり、しかも、家康の養女を娶って外様で
ありながらも厚い待遇を受けることになります。
長政自身も、父親・黒田官兵衛如水の智謀を受け継いで、武と智の両方を
兼ね備えた名将であり、彼も生涯において30数度の戦が行われたが、
一回も負けたことが無ないもいわれています。