白い巨塔(山崎豊子)読書感想文 書き方の例文 2000字

*2011文字 白い巨塔(山崎豊子)読書感想文

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山崎豊子さんといえば、多くの著作をもち、とにかく自分自身が綿密な取材を経てこそ、リアルな小説を書き上げていくことができるという印象を持っています。そんな中でも大学病院、医療過誤、がんをテーマとした白い巨塔は非常に印象的な作品でした。

最初にこの作品を読んだのはもう15年近く前なのですが最近、改めて読み直しました。というのも昨年の9月に家内が肺がんのステージ4の診断を受け、今、闘病生活を続けています。もちろん、時代背景も医療の技術も40年近く違う今では異なってることはわかってはいるものの、医師とは、がんとはを改めていろいろな角度から眺めてみたいと思い、読んでみた次第です。

[br num=”1″]まず、この作品には大きく2つのタイプの医師が登場します。まずは大学病院で頂点を極めんがため、あらゆる手段を講じて成り上がろうとする財前、そして自分自身の出世よりも臨床医として、成果を出し、がんに苦しむ患者を助けることに重きをおく里見の二人です。いつの時代もこうした構図はあるもので、大学病院でなくとも、あらゆる企業でこうした構図はあるものです。最初にこの作品を読んだときはまだまだ、社会人にもなっていなかったので自分自身がどういった人間になっていくのだろうかと考えさせられたものでした。

[br num=”1″]そして、外科医としてその腕で多くのがん患者を助けていた財前と臨床医としてがん患者を救おうとする里見。今、肺がんの闘病生活を続けている家内を持つ私にとっては改めて読んでもこうした人間たちの努力によって、病魔を少しずつ打ち負かしてきたのだなということがよくわかります。見方によっては財前は権力に取りつかれた男ということおいえますが、今の私は違った見方もしています。

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それは自分が権力を持つことによって、お金も人も自由に使えるようになり、ひいては医学の発展につなげていくことが出来るのではないかという見方です。最初にこの作品を読んだ時点では財前は悪で里見は善という見方しかできませんでした。しかし、日進月歩の医学をさらにこれまで以上のスピードで進化させるためには財前のような存在も必要なのです。言い方は悪いですが必要悪とでもいっただ良いのでしょうか。

[br num=”1″]逆に里見に関してはその研究に打ち込む姿、姿勢は非常に社会人としても医師としてもそばらしいものですが、患者としてはその成果をいかに医療現場に反映させることが出来るのかという観点においては非常に難しいのではないかと言わざるを得ません。
20年近くを経て、改めて読み返した結果、かつ今の家内の病気を抱える状況において少しこの作品の登場人物に対する考え方が変わりました。

[br num=”1″]しかし、医療過誤という観点においては昔読んだ時以上に財前という人間の考え方には辟易して怒りまで覚える次第です。大学病院にとって、患者一人の存在などちいさなものかもしれませんが本人や家族にとってはすべてになるわけです。これに対して、自分の都合だけで誤った判断をして、それをごまかそうとするなど言語道断です。命にかかわるような診断であればさらにその重みは増すことになるでしょう。

[br num=”1″]医療過誤訴訟については証明者側の責任が果たされないことには裁判に勝てないという今も昔も変わらない難しい課題があります。日本も訴訟社会になりつつあるとはいえ、この一方的な証明責任については少しでも改善を図ってほしいと考えてしまいます。自分事として考えた場合にありえない問題だからです。

[br num=”1″]さて、作品の財前と里見の関係に戻りましょう。この作品の皮肉なのは大学病院で学長になろうという外科医のスペシャリスト財前ががんに倒れるところです。それも末期ですでに手の付けられないところまで来ているところが本当に皮肉なストーリーだというほかありません。

[br num=”1″]そして、財前は自分の体を今後の医療の発展に役立ててほしいと里見への遺言を残してこの世を去ることになるわけです。今の医学であれば、財前の命は助かったのでしょうか。専門家ではないのでわたしはそこまでわかりません。しかし、財前が助かっていて、里見と一緒に新たな治療法の開拓をしていたならそれこそ素晴らしいことです。
この作品を通じて、山崎豊子先生が伝えたかったのは単なる権力争いの中、病に倒れた外科医の姿ではなく、冒頭に私が記載した医学の発展に貢献する医師の姿だったのではないでしょうか。そしてその姿は時代が変わった今でも変わらずに続いています。また個人的な話に戻りますが、こうした医学の発展にを頼りにしている人間が世界にはたくさん存在しているわけです。

[br num=”1″]もちろん、時代によってさまざまな治療方法も発見され、がんも不治の病ではなくなりつつあります。財前や里見のような医師がいつの時代もあってこそ、医学の進歩はとどまらないわけです。
時代を超えてもこの構図は変わらず、多くの患者を救ってくれることを願ってやみません。
そして、こうした医師たちの礎があってこそ、今の医療があります。