「ボトルネック」(米澤穂信)の読書感想文 書き方の例文 2000字

※2022字 「ボトルネック」(米澤穂信)の読書感想文

広告

 瓶の首は細くなっていて、水の流れを妨げる。そこから、システム全体の効率を上げる場合の妨げとなるある部分のことを、ボトルネックと呼ぶ。

[br num=”1″]  この一節を読んで私は、すぐにでも本を閉じたい気持ちと、それでも見届けなければならないという気持ちの二つに襲われました。小説の中でボトルネックという言葉はタイトルと物語半ば、それとクライマックスのシーンの中で登場します。私が相反する二つの気持ちに悩まされたのはクライマックスのシーンの方でした。クライマックスの部分でのボトルネックという言葉は、主人公である嵯峨野リョウが止まれない場所まで来てしまったことを自覚してしまったことを意味しているからです。自分が存在しなかった世界、自分の代わりに姉だったかもしれない少女が存在する世界、その「間違い」をはっきりつきつけられて彼は自分が存在している世界に帰ってきてしまうのです。

[br num=”1″]  この本を選んだきっかけは、読んで面白かった本の作者の作品だったからの一言に収まってしまいます。この作品を書いた作者の古典部シリーズという青春ミステリー小説を読んだのがきっかけだった。青春小説もミステリーも好きだった私にとっては、この作者の作風が好みとぴったり一致していて、「それならば他の作品も自分の合うのでは?」という安易な理由で同作者の『ボトルネック』という本を手に取っていました。

[br num=”1″]  冒頭、主人公である嵯峨野リョウは、恋人が死んだ場所から誤って落ちてしまい、自分が住んでいた街と全く同じだが、自分がいない世界で目を覚まします。嵯峨野リョウは自分の代わりに存在している、自分の姉だったかも知れない嵯峨野サキという少女と共に元の世界に帰る方法を探すのだが、その中で嵯峨野リョウは自分がいる世界と、自分の代わりに嵯峨野サキがいる世界の「間違い」を知ってしまいます。自分がいた世界ではつぶれた店があった、よく通っていた蕎麦屋の主人は病気から立ち直っていた、二年前死んだはずの恋人が生きていた、そんな自分がいた世界とは大きく違う「間違い」を嵯峨野リョウは突きつけられる。そんな話を半ばまで読み進めるころには、好きな作品を書いた同じ作者の作品だったから、という陳腐な出会いだったのを忘れるくらい、多くの共感を覚えていました。

[br num=”1″]  誰もが青少年の頃に思ってしまったかもしれない、「私はここにいていいのだろうか」とか「私に何の価値があるのだろうか」、 などという自分の存在理由についての気持ちを、この本では甘さなどない、苦さをふんだんにつかって突きつけているように感じました。私にも少なからず、自分じゃない他の誰かが自分の場所にいたなら、違った結果になったのだろうかと考えさせられた時期がありました。私の青春時代を振り返ってみると、関わってきた人たちにより良い影響を与えたことがなかったかもしれないと。誰かのために何かをやりたいと思ったことがそこまで多くはないのですが、もし自分ではなく他の誰かが自分の立場であったなら、周りの人たちはもっと幸せになれていたのではないかと考えることはあります。嵯峨野リョウが見せられた結果はまさに、私にとっても突きつけられたくない事実の一つでありました。

[br num=”1″]  そして嵯峨野リョウは自分がボトルネックだと気づき、元の世界に戻った後に二つの選択肢を迫られます。「真っ暗な海と、曲がりくねった道。それは失望のままに終わらせるか、絶望しながら続けるかの二者択一。そのどちらもが、重い罰であるように思われてならなかった」と作品の中では簡素にそう表現されていますが、そこまで至るまでに見せつけられた「間違い」を彼がどんな結論を得て、どんな感情で選択肢に向き合っているのか、想像も出来ませんでした。作中では、失望のままに終わらせたかのように匂わせる書き方がされていますが、結局嵯峨野リョウが選んだ選択肢がどちらだったのかは、はっきりと書かれていません。

[br num=”1″]  私なら、自分のいた世界と自分のいなかった世界の「間違い」を見せられたあと、二つの選択肢の前に立たされた瞬間は、全て終わらせる選択肢を選びたくなってしまうかもしれません。それでも、最終的には絶望しながら続けたと思います。その時点までの自分が無意味だったことは覆しようがないことです。ならば、それが分かっただけで儲けものじゃないかと、この作品を読んだあとにその考えに行きつきました。自分の考え方や行動の何が駄目だったのかはっきりして、嵯峨野サキという模範解答も示された、ならば自分を無価値にしないために絶望し続けるのもいいのではないかと。もちろん、実際にその場に立っていないのですから、失望のまま終わらせなかったと断言は出来ません。嵯峨野リョウに「暴言だ」と言われるかもしれないことを言っているかもしれません。ただ、そうやっていけばいつか、自分が無価値でない、『ボトルネック』ではないと思える瞬間に出会えるのではないかと思ってしまったのです。