「眠れる美女」(川端康成)の読書感想文 書き方の例文 2000字

※2003字 「眠れる美女」(川端康成)の読書感想文

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川端康成の「眠れる美女」はかなり難解な小説の一つだと思う。そもそも、川端康成の作品自体、少々変態チックで、現代で生活する私たちの視点から考えると、理解しがたい物を描いているように思えてしまう。
そんな川端康成の作品群の中でも、群を抜いて分かり辛く、さらに変態さがずば抜けているのが、他ならぬ「眠れる美女」だ。

[br num=”1″] 眠れる美女がいるという宿で、老人たちが若い女性と何もすることなく一夜を共にするだけの館では、その若い女性はただひたすらに眠らされている。そんな若い女たちに好きなことをできるはずの老人たちが、結局は何もすること無く一夜を共に過ごす。それを聞いた江口老人が、試しにこの宿に泊まってみることから始まるのだが、その老人がいかにこの宿で過ごすのか、ということがこの作品で語られているテーマとも呼ぶべきものだろう。

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実際の所、この作品のメインは、その江口老人が眠れる美女の若い女性たちを見ながら、これまでの人生で関わってきた女性たちを思い出すことにあると思う。
愛人であったり、娘であったり、三夜もここで過ごすことになるのだが、その旅に過去の女性のことを思い出す。なぜ、そのような描写が繰り返されるのか、始めは全く気が付かなかった。しかし、考えれば考えるほどに、この老人がそのような若い女性から、今までの女性のことを思い出すことの意味がちょっとずつ考えられるようになった。

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何と言っても、ここにおける老人は、これから死を迎えるべき存在で、死亡願望こそない物の、足音を立てて近づいてきている死を実感している存在なのだ。そして、その老人たちが若い娘と一晩を共にする部屋は、真紅色がとことん強調されている部屋になっている。

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これは、老人たちのある種のまだ、生きていたい、若返りたいという願望を表しているもので、母の胎内のメタファーになっているのだと私は思った。そして、そこで出会った若い娘に対して、母を感じる。特に、この時代背景を考えると、まだまだ若いうちに結婚をしてしまうこともそう珍しい事ではないし、そのような年齢に母が身ごもった子供こそが、彼ら老人だとも考えられる。

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そして、そのうちの一人である江口老人がここでこれまで自分自身に関わった女性のことを思い出すのは、その女性全てに母を見出したからだろう。そして、隣にいる娘にも母を見出したからこそ、ここで死んでしまいたいと思う。それは全ての老人が同じことを考えているらしい。

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そのような、死ぬことへ対してのある種の思いを描いたものが、この眠れる美女であると思う。生きている内には女性を好きになる。しかし、その気持ちが薄れて行って、死が目前に迫った老人であるからこそ、これまでの恋が全て、母を見出してあったものだと気が付き、そして、まだまだ生きていたいと思いながらも、避けられない死に対して、どうせならばここで死んでしまいたいと思わせるのは、他ならぬ彼らに母を思い起こされる若い女性だった、ということがこの作品では描きたいのであろうと、私は思った。

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そして、この一冊に含まれている作品は、「眠れる美女」だけではなく、「片腕」「散りぬるを」の二作もある。

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「片腕」はかなり特殊な作品の部類に入るであろう。そもそも、川端は「眠れる美女」からも感じ取ることができるような異質な世界観を作り上げることをどこか目標としている節があるように思う。
しかし、その中でも最も異質なのが、この「片腕」で、遊女が自分自身の腕を取り外して、それを主人公の男が家まで持って帰り、それを自分の腕と付け替えるというものだ。しかも、この片腕はなぜか自我を持ってしゃべるなど、若干主人公の精神を疑問視してしまうようなものである。

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「散りぬるを」は自身が世話をしていた二人の女性を殺されてしまい、その犯人の記述などを主人公の小説家が思い出しながらも、それに何か意味を付け加えようと思考している様を描いている。

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この全ての作品に共通していることが、女と死だ。「眠れる美女」では主人公の江口老人に迫った死が、「片腕」では自分の片腕と遊女の片腕を取り換えたことにより、どちらかの片方の腕が死んでしまうのではないか、という死への恐怖が、「散りぬるを」では、世話をしていた女性の死と、それに意味を付け加えようとしている全く無意味なことをしようとしている主人公が描かれている。

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そして、「散りぬるを」に描かれている事こそ、川端が切実に感じ取っていたことではないだろうかと、私は思う。死に対して何かの意味を付け加えて、物語にすることが小説を書くことであれば、それにはどのような意味があるのか、無意味であるならば、なぜそのようなことをするのか。

それは前の二編の小説が、女と死を取り扱っており、それに意味を付け加えて描いていたことへの、川端自身の疑問なのかもしれない。だからこそ、この三編がこの一冊に収められているのではないかと、私は思った。