「13階段」(高野和明)の読書感想文 書き方の例文 2000字

「13階段」(高野和明)の読書感想文
※2001文字

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「コツ、コツ、コツ」日の光に照らされるだけの薄暗い中でコンクリートの壁に反響する靴の音。
この足音は小説の主人公、樹原亮が独房で聞いた音である。足音よ、どうか自分の前で止まらないでくれ。自分が入っている独房の前で足音が止まるということは、即ち死刑の執行が決定したことを意味するのである。

 

樹原亮は10年前の保護司夫婦の殺害犯として、逮捕され、樹原の持ち物から被害者のキャッシュカード入りの財布が見つかり、状況証拠をもとに強盗殺人の容疑で逮捕され、ついに死刑判決を受けたのである。しかし当の樹原自身は事件現場近くで、事件の直後にバイク事故を起こしており、記憶が斑になってしまっている。そう、死刑囚樹原は自分が起こしたかどうかもわからない犯罪のために死刑囚として収監されているのである。そして、記憶も定まらないまま死刑が執行されるかもしれないという恐怖と日々戦っているのであった。そんな樹原の弁護士が5度目の再審請求のための証拠集めを依頼したことから、樹原の運命は動き出す。疑問符の付く証拠を洗っていき、ついには樹原の無罪を証明する証拠にたどり着くのであった。
 「コツ、コツ、コツ」ついに足音が樹原のいる独房の前で止まる。樹原はショックのあまり失禁してしまう。そんななか刑務官から冤罪が立証されたと告げられる。

 

 この小説を手に取ったきっかけは、そのタイトルです。13階段。その13という数字に秘められた負を連想させるタイトルに惹かれ手に取り、ページをめくったところ、死に極限まで迫った人間模様が描かれており、一瞬で小説の世界に入り込んでいきました。

 この小説で考えさせられたことが二つあります。一つ目は人が人を裁くということの難しさです。現在世界中の国では法が整備され、その中で法を犯したものには罰を与えることで社会の安定を保つという仕組みが取られています。そして人を裁くことにおいて、慎重を期すために、多くの国では裁判という仕組みを導入し、客観的な物的証拠を積み重ね、有罪か否かを決定し、その罪の重さに従って罰を課されています。しかし注目すべきは、どれだけ証拠を積み重ねても、最後の判断は裁判官という人が行っているということです。

この一連の流れは、確かな物的証拠に基づき、裁判官が適切に判断を行う、否、行えるように三審制が取ることで、冤罪が起こらないようにされています。しかし、現実には冤罪が起こっているのです。ここ数年来のうちにも、冤罪の証明がなされ、釈放された例がいくつかありましたし、中には死刑囚の冤罪ということで注目されたニュースもありました。それら多くの場合、物的証拠に乏しく、状況証拠の積み重ねにより有罪判決を場合や、容疑者が犯人であるという先入観とも言える決めつけに従って、人為的な物的証拠を作り上げ、それをもとに裁判官が判断を下した場合です。冤罪が証明された例でも見られるように、人が人を適切に裁ききる助けとして、DNA鑑定や画像分析といった科学技術の進歩というのも必須ではあることに疑いの余地はありませんが、やはり人に意思、思考力がある限り、どこまで科学技術が進歩したとしてもこの冤罪を生み出すかもしれない潜在的な危険性を確実に無くすことは非常に難しいと感じました。

 

 では、人が人を裁くことが難しいとなった今、現れてきたのが二つ目の考えです。それは、果たして死刑という制度があっていいのだろうかということです。死刑はいわば、法律で定められた、国による、合法的な殺人とも読み替えられます。死刑に値するような犯罪の被害者遺族にとっては、殺人犯に死を持って償わせたいという気持ちを抱くのは、至極当然だとも思います。しかし一方で、100パーセント冤罪が起こらない、と確約できない状況下で死刑制度を存続することが正しいことなのかという疑問が湧いてきました。

 

また今回の小説で、非常にリアリティをもって描写されていると感じたのが、死刑の執行がいつ来るのか分からない、自分の命が明日で終わるのではないかと思いながら床に就くという極限状態の心理です。現在では死刑の執行が確定した場合に事前に告げてほしいか、執行当日の朝まで伝えないかを選ぶことが死刑囚にはできるそうですが、その権利を以てしても、死を待ち続ける生活というのは想像を絶するのではないかと感じさせるものでした。

死刑囚の中には、死刑執行を拒もうとぎりぎりまで抵抗するものや、逆に獄中で反省をし、自分の罪に向き合い、穏やかに死刑台に向かう人とがいるそうですが、そのような、自分の罪を顧み続ける死刑囚にその極限状態を課すには、あまりに惨いと感じる部分もありました。死刑制度の是非とは死刑囚の人権と犯罪被害者の人権を天秤にかけるような難しさもありますが、国が個人を殺すという制度についてはやはり、慎重な議論のもとに、その制度の有無自体も考えられる必要があるのだろうと感じました。

 

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