読書感想文
「夏の庭」(湯本香樹実)
※2006文字※
これほど「死」と向き合った小説はあっただろうか。
湯本香樹実「夏の庭」を読んで、私はまずそう感じた。
ここで描かれる「死」は、老人の死である。
死に向かっていく老人を、少年たちの目を通して静かに眺める。
それが小説の全編を通して行われる。
少年たちの「若さ」と「生」が、老人の「老い」と「死」に対比されるのだ。
それは、ある種のむごさでもあると私は感じる。
子どもは生命力にみなぎっていると同時に、残酷でもあるのだ。
死を見つめるその少年たちの目には、確かに、歪んだ好奇心が宿っていたと思う。
それは例えば、アリの巣に水を入れたらどうなるだろうとか、モンシロチョウをクモの巣に引っかけたらどうなるだろうといった、そういう(ある意味では子供らしい、無邪気さゆえの)好奇心である。
それを子どもたちは、虫や動物ではない、まぎれもない人間にぶつけるのだ。
彼らからすれば、老人も虫も動物も「弱い存在」という意味では同類なのかもしれない。
その見方もある意味、無邪気さに起因していると言える。
その無邪気さは、死をフェアに捉えることができるのではないか、と私は感じた。
というか、筆者が試みようとしていたことは、まさに「死をフェアに捉えること」だったように思う。
だから、子どもを主役に据えたのではないだろうか。
本来、死を好奇心によって捉えようとすることは、不謹慎だと私は思う。
その人の死を望み、死に向かっていく過程を観察するわけだから、悪趣味だ。
いくら子どもとはいえ、私は読んでいて、不快とまではいかないまでも疑問に感じはしたし、実際に小説でなければ、それは許されることではなかっただろう。
しかし、小説だからこそ、筆者はこうも無邪気に、残酷に、子どもの視点を借りて死を捉えようとしたのではないだろうか。
その見方こそ、死を本質を捉えるのではないかと信じて。
その試みが成功に終わったのか、失敗したのか、私には分からない。
しかしその試み自体に、私は価値があると思った。
確かに「死」というものは、感情的に捉えるべきではないのかもしれない。
子どものような無邪気さと残酷さを持って、シンプルに、余計なものを削ぎ落として考えるべきなのかもしれない。
それは、私にとっては全く新しい考え方、ものの見方だった。他の読者も、おそらくそう感じたことだろう。
だから、この「死」に対する捉え方自体を否定するというのは、私はお門違いな批評だと思う。
確かに不謹慎ではある。
老人の死を軽んじているという反論も、成立しなくはないだろう。
しかし、このような捉え方でのみ見えてくるものもあるはずだ。
例えば、私はこの小説を読んで「死はとても静かなものなのだ」という印象を持った。
それは半ば感覚的なものだ。
しかし、だからこそ私は、そこに真に迫るような何かを感じる。
そもそも「死」とは、言葉で説明できるものではない。
だから、死についていくら言葉で「こういうものだ」と説明されても、納得はできないだろう。
つまり、頭で納得するのは難しいのではないか。
この「夏の庭」においては、そういう言葉による過剰な説明は極力排除されている。
だからこそ、感覚に訴えかけるものがあると私は感じた。
それゆえに、その「死」の静けさは、言葉で説明されるよりも一層、心に響いてくるのである。
「体感する」という表現が、この場合は最も適していると思う。
死という概念が、すぐ傍に接近しているような、そういう感覚すら覚える。
そしてそれは、湯本香樹実という作家が意図的に、言葉による説明を排したからこその成功なのではないだろうか。
あるいは子どもの視点を借りて、死を公平に捉えようと尽力したからこその成功なのではないだろうか。
少なくとも私は、この小説を読んで、死に対する新たな考え方を獲得したように思う。
とはいえ、私は死に対して相変わらず無力なままだ。
死を防ぐことは間違いなくできないし、死がどういうものかもやはり分かってはいない。
「静かなものである」という予感があるだけだ。
しかし、それでいいのではないだろうか。
そのくらいの認識が、ちょうどいいのではないだろうか。
湯本香樹実は、死に対する新たな捉え方を提案しつつも、死そのものを説明しようとは考えていない。
死をどういうふうに捉えるか、つまり「私たちが」どうあるべきか、それについての考えを小説にしているだけである。
これは決して、死から逃げているわけではないと思う。
むしろ、死としっかりと向き合ったからこそ「死というものは究極的には分からないけれど、静かなもので、かつ確かに存在するものなのだ」という、至極「公平な」結論に至ったのではないのだろうか。
それは私からすれば、一つの救いである。
あれこれ考えを巡らせるより、余程マシだ。
そして、死というものは本来こういうものなのだと思う。
つまり「分からないけれど、存在する」。
そのことに気づかせてくれた筆者に感謝したい。
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