「あのころはフリードリヒがいた」(ハンス・ペーター・リヒター)の読書感想文 書き方の例文 2000字

 

読書感想文
「あのころはフリードリヒがいた」(ハンス・ペーター・リヒター)
※1985文字※

 

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ある日突然友人がいなくなったら、あなたはどうしますか。

この「あのころはフリードリヒがいた」は、私にそう突きつけているのかもしれない。

友人がいなくなるその理由は、いくつか考えられる。

転校とか、上京とか、そういう類の理由だ。

かしこの場合は「戦争によって」主人公は友人を失うことになる。

正確には「人種差別」によって、である。

フリードリヒはユダヤ人だった。

これだけで、気づく人は気づくのではないかと思う。

そう、舞台は第二次世界大戦中のドイツ、ヒトラー政権下のドイツである。

アウシュビッツ、反ユダヤ、ホロコースト。

ここまでくれば、ナチス・ドイツが行ったユダヤ人に対する大量虐殺を思い浮かべない人はいないだろう。

これほど恐ろしい人種差別が、百年にも満たない過去のドイツで行われていたということに、私は愕然とする。

ユダヤ人は、まるでアリのように、保健所に連れられた犬のように、機械的に殺されていく。

そしてこの「あのころはフリードリヒがいた」は、その渦中のドイツを、あくまでその渦の外側からの視点で見つめた、哀しみに満ちた児童文学である。

だからこの小説には、ホロコーストについて詳しくは描かれていない。

ざっくばらんに言えば、主人公の少年が(少年故に、今この母国ドイツで何が起こっているのか、あるいはその外で何が起こっているのかも、漠然としか理解できていない)ある日フリードリヒというユダヤ人少年と出会い、友だちになり、けれどいつの間にかフリードリヒはいなくなっていて、その意味も理由もよくは理解できないまま、その「友人の消失」という事実だけを受け入れていく、という淡々とした物語である。

しかし、かといってそれは淡白というわけではない。

筆者はあえて、淡々とした筆致で物語を進行させていったのだと思う。

過剰な演出を排すことで、むしろフリードリヒの死を重く、リアリティのあるものとして描写したのである。

そこに私は、筆者のある種の誠実さを感じた。

だからこの小説は、いわゆる「感動もの」ではない。「泣ける」話でもない。

そしてそれこそが、戦争の、ユダヤ人大虐殺の真実なのだと私は思う。

だからこの小説は、ホロコーストについての詳述を避けているにもかかわらず、また、あくまで被害者ではないドイツ人少年の目から物事を見ているにもかかわらず、切実なリアリティに満ちている。

主人公の少年の生活は、多少の変化こそあれ(戦時中であるから)、物語を通して「フリードリヒがいなくなった」ということ以外、劇的に変化することはない。その対比が、ユダヤ人の大量虐殺の哀しさをさらに際立たせる。

「ユダヤ人」というだけで、一方は当たり前の普通の生活を営み、一方はそれを理不尽に剥奪されるのである。

アウシュビッツに収容されたユダヤ人が、死の間際になにを考えたのか、それは私にはとても想像できることではないだろう。

だれを呪い、恨めばいいのか、それすらも分からなかったのではないだろうか。

フリードリヒはまだ子どもだから、猶更だ。

私はこのような凄惨な事件を体験したことはないから、「国の命令で」友人を失うという感覚は、もちろん全く分からない。

そう考えると、この「当たり前」の生活も、実はとても幸せなことなのではないだろうか。

転校や上京でしか友人と離れ離れにならないという幸福。

妙な文章だが、主人公の少年やフリードリヒからすれば、喉から手が出るほど欲しかった幸福だったに違いない。

だから私はこの小説を読んで、自分と自分の生活を見つめ直すきっかけを与えられたように思う。

おそらく私は、自分の人生をあまりにも漫然と浪費しているように思う。

命の大切さも、友人のかけがえのなさも、はっきり言って忘れている。

なぜなら黙っていても享受できるものだからだ。しかし、それでいいのだろうか。

筆者の伝えたいことの一つは、まさにそういうことだったのではないのだろうか。

ホロコーストの悲惨さを伝える、だけが筆者の思いではない。

ホロコーストの悲惨さを伝えた上で、では私たちは今、どう生きるべきなのだろうか。

筆者の訴えたいことは、そういうことだったと私は思う。

ヒトラーの行ったことは、許されることではない。

今の私たちにできることは、二度と同じような事件が起こらないよう、注意深く生きるということだけだ。

戦争を防ぐというのは、むろん難しい。

しかし私たちには選挙権が与えられる。

政治家を選ぶ権利を持つことができる。

つまり、間接的にではあるにせよ、フリードリヒが迎えた結末を未然に防ぐことができるということだ。

「あのころはフリードリヒがいた」を読まなければ、政治に目を向けることはなかったと思う。

筆者ハンス・ペーター・リヒターは、筆でもってホロコーストの悲惨さを伝えた。

私は選挙権でもって、起こるかもしれないホロコーストに異議を唱えるつもりだ。

 

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