「かあちゃん」(重松清)の読書感想文 書き方の例文 2000字

 

読書感想文
「かあちゃん」(重松清)
※1991文字※

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重松清の「かあちゃん」を読んで、私は母と息子の関係というものを考えさせられた。

親子関係には、いろいろある。

父と息子、父と娘、母と娘、そして、母と息子。

母と息子という関係は、私が当事者である以上、真にリアリティを持って私に迫りくる。

そしてこの「かあちゃん」は、いじめや不登校といった深刻な問題と絡めながら、母と息子の関係を様々な視点から描き出していく、全八章の連作短編である。

いろいろな母息子の関係を、多角的に眺められるという点で、この「かあちゃん」は優れていると感じられるし、どこかの章のどこかの文章で、必ず深く共感することもできるだろう。

その描き分けの秀逸さは、流石重松清と言わざるを得ない。

「かあちゃん」を読んでいて、私はまず、重松清の特徴が散見できると感じた。

重松清作品をいくつか読んで感じるのは、彼は状況設定の中からそこに潜む微かな光を見出すのが上手だ、ということである。

創り出す、ではなく、見出す。

つまり過度な演出を削ぎ落としていて、ストーリーが自然に(それはつまり、容赦なく、ということでもあるのだが)進行していき、そのリアリティの中で、重松清は「そこに一筋の光を見出すことができるか」を考えるわけである。

だから、彼の作品は基本的に大団円というわけにはいかない。

一方で絶望的なバッドエンドでもない。

微かな温かみのある、一歩ではなく半歩前進、これが彼の作品には通底している。

そしてそれは、光を生み出すのではなく、深刻な状況の中に存在し得る光を「見出す」からなのである。

だからこそ、大きな救いはないにしろ、読者はむしろ根っこの部分からじんわりと救済されたという、奇妙な感覚を覚える。

それは、重松清の優れた観察力と作品の持つリアリティがもたらす効用だと私は感じる。

さて、それを踏まえた上でこの「かあちゃん」を読んでみると、やはりそういう「重松イズム」は随所に見られる。

短編のほぼ全てがそういった構成に基づいていると言っても過言ではない。

そしてそれは、いじめや不登校、そして私は、母息子という家族関係も充分シリアスな問題になり得ると思うのだが、そういう問題を取り上げている以上は、むしろ必要不可欠な物語創作の仕方だと私は感じる。

例えば実際にいじめられている子どもがいじめを題材にした小説を読み、それが奇跡の連発で徹底的にポジティブな進行、結末だったとしたら、その子はむしろ突き放されたとすら感じるかもしれない。

「こんなことはあり得ない」と。それは何一つ救いとはならない。

しかし重松清は、その辺りは真摯というか、誠実というか、いじめを解決してくれる超敏腕教師や、両親に説得されただけで簡単に再登校するような優秀な児童は登場しない。

そしてそれは、重松清のリアリズム、いじめや不登校、それに付随する家族関係というものを、決して美化せずにありのままに捉えているということの証左である。繰り返しになるが、私はそれこそが重松清の神髄であり、読後感の心地良さだと感じる。

もちろんそこには、重松清の調査力も伺えるだろう。

新聞のインタビュー記事で読んだのだが、重松清は事前調査に(特にシリアスな題材を扱う時は)執筆と同じくらいの労力をかけるらしい。

文献を読み漁り、実地に赴いて話を聞く。

その労を惜しまない姿勢こそが、このような優れた作品を生み出しているのだろう。

この作品の表題作「かあちゃん」は、特に母と息子の関係にスポットライトを当てている。

この家族関係については念入りに、一章と八章を割いて(つまり最初と最後)描かれている。

ここで描かれるのは「大人の」母子関係だ。

主人公は三十近く、母は六十を超えている。

その関係は子ども時代とは一味も二味も違うだろう。

私は想像することしかできないが、新たな家族を持ってからの母子関係は、嫁姑問題であるとか、介護であるとか、そういうものがついて回る以上はやや歪なものになるはずだ。

ここでは夫を亡くし、女手一つで息子を育ててきた母の意地が描かれる。

母は自分を律するために「笑わない」ことを信条とした。

その覚悟の重さに、私は母性というものの力強さを感じる。

母性は優しさや慈愛だけでない、時にはこのような厳しさを孕むものなのである。

その息子が大人になり、新しい家族を持つのだが、そこで描かれるのはお互いの「赦し」である。

奇妙なことだが、そのように遮二無二働くということは、母子関係に微かな亀裂を生むらしい。

しかしこれは、息子である私にはなんとなく理解できる。

「働かせて申し訳ない(学生の身分であるにしても)」という罪悪感が、潜在的に母親を避けるように作用するのである。

この辺りの人間関係の機微は、是非重松清の作風の中で、その文章に触れることで、体感して頂きたい。

その読書体験が翻って、読者の現実にあるいは一筋の光をもたらす――いや、読者自身が「見出す」かもしれない。

 

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